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2006年8月 1日 (火)

思考に功名心は邪魔

私は将棋を指す。しょーもない話ではあるが、自分が小学生の頃に将棋界の頂点に立っている「羽生善治三冠」と同じ将棋道場に通っていた。同じ小学生だったこともあり、何度か3つ年下の小学生の彼と指したことがある。(彼が入ってきて3か月頃であったが当然、1度も勝てずボロ負けした。)

負けず嫌いの私は、実力差に唖然としてそれ以降将棋道場に行かなくなってしまったのだが、彼がプロの頂点に立っていることを考えると、負けて当たり前だったのである。でも未来は見えないのだから判断が正しかったのだろうか?

しかし、行かなかったのは間違っていなかったと思う。その時の私は将棋のプロになることも少しだけ考えていたが、努力を繰り返し狭き門を乗り越えてプロになれても羽生にボロ負けのプロレベルだったと思う。それでは将棋の真理・本質を目指す意味がないからである。

ところで、名人位を19期も保持していた故大山康晴十五世名人の言葉に以下のような言葉がある。

「功名心をしりぞけて、平常心、不動心を持ち続けよ。」

将棋のような頭脳戦争の場合には、頂点に立ちたいという気持ちで努力をし続けないといけない世界であるにもかかわらず、その頂点にい続けるために必要なのは「功名心」は邪魔なだけであり、「平常心、不動心が必要」というのは深い意味があると思う。私も思考の際には出来るだけ「平常心、不動心」を持って思考という観点では頭脳の勝負ができればいいと思う。

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